今日は授業づくりについて。
授業づくりは教員の要であり、何よりも力を入れたいと考えている。
これがやりたくて教員になったようなものだからだ。
ところで、最近「対話」というキーワードをよく聴く。
似た言葉で「議論」があるが、これらは異なる性質を持つ。
議論は双方の主張をぶつけ合い、どちらが正しいのか決着をつけようとする試み。
その前提には、「どちらかが正しい」という考えがある。
一方、対話は正しさを主張するのではなく、互いの考え方を共有し、双方で納得できる方向性を探っていくプロセスである。
対話というプロセス経ることで、はじめは考えもしなかった共通認識が浮かんでくることもある。
僕は授業づくりにおいて、この「対話」を大切にしている。
他の方はどうか知らないが、一人一人の教員がどんな授業をしているのかって意外と知らなかったりする。
「ブラックボックス」なんて呼ばれることもある。
あるキッカケから、よく信頼できる教員仲間に授業の構想を相談させてもらっている。
すると自分がなんかモヤモヤしていたことが、その教員仲間と対話することでスッキリしたり、思ってもみなかったアイディアがもらえたりして、当初考えていた授業より確実に良くなっているなんてことがよくある。
これらまさに対話の力だと感じている。
もちろん、その方が有益な助言をしてくれるということもある。
ただ別の角度から意見をもらい、そこからまた考えることを繰り返すというプロセスに大きな意味があるのではないか。
最近、看護師の働き方として「パートナーシップ」が取り入れられるようになった。
僕が臨床で働いていたことは採用されていない制度だから、実際のところはわからない。
でもパートナーと対話することで、1人では見えてこなかった看護が生まれるのではないかと考えている。
教員にはそのような制度は今のところない?(他がわからないが・・・)が、教員もチームで授業をつくっていけると、より良いものが生まれる気がする。
もちろん、そこには心理的安全性が担保され、信頼関係があるのが前提ではあるが。
そしてパートナーにおんぶ抱っこではなく、まずは自分で何を目標に、どう組み立てるのかはしっかり作り込んでいることも大切だ。
ということで、今日は授業づくりと対話の関係性について書いてみた。
皆さんの取り組みもぜひ聞いてみたい今日このごろである。