今日は久しぶりに「教育」に関する本について。
教育新聞から出版された本で、現役教員からノーベル賞受賞者、教育系YouTuberなど、「答えのない時代」の教育で最前線をいく教育者達のインタビューがまとめられている。
シンパシーではなくエンパシー
ブレイディみかこさんのお話の中で、「シンパシーとエンパシー」の話が出てきた。
ブレイディみかこさん曰く、シンパシーは感情の面で他者に共感することであり、エンパシーは他者がどのような感情や想いを抱いているのかを想像すること、とあった。
シンパシーは感情の動きなので、人や場面によって左右されるだろう。
対してエンパシーは、想像することなので、人や場面を選ぶことなく発揮できる。
ブレイディみかこさんの息子さんは「自分で他人の靴を履いてみること」と、エンパシーの本質を見事に表現した。
格差や差別が存在する社会で生きていく我々には、自ら他者の立場となって想像するエンパシーが求められる。
評価は客観でなく主観
これはノーベル賞を受賞した野依先生の言葉。
評価というと、客観的に評価できるように、と言われている。
少なくとも僕はそう考えている。
何も筆記試験だけでなく、例えばレポートや技術もルーブリックを用いて評価する。
だから野依先生のこの言葉には驚いたというか、新鮮だった。
でもどこかで、客観的な評価だけで学生の成長や可能性を捉えきれるのか?と疑問を抱いていたのも事実。
これから最も重要だと言われている「創造性」。
それを客観的な評価で測ることなんてできるのか?
どう評価すればよいのか?そもそも評価できるのか?
これからも考えていかなければならない。
教育と学力・キャリアを結びつけることはあっても、教育と幸せを結びつけて話すことってあまりない。
もっと「幸せに生きるとは?」ということを語り合っても良いのでは?
YouTubeやスタディサプリの取り組みが紹介されていた。これらは今後、いや既に教育のインフラ的な位置にある。教員はこれらを活用しながら、学生のメンターとなる役割が求められる。
プラスα
プラスα2人の教育者が使っていたキーワードが「プラスα」。
教育という仕事はただお金をもらうだけでなく、プラスαがある仕事。
それは大きくいえば「世界を変えられる」仕事でもあるということ。
もう一つのプラスαは、プラスαの学び。
ただ教えるだけであれば、アプリなどでも十分教えられる。
学校ならではのプラスαを学べる機会をつくることが必要。
自分はどうだろうか。
未来を見つめて仕事ができているか?
「この勉強楽しいな」「難しいけどもっと学んでみたい」と思える授業ができているか。
まとめ
教員が学生の可能性を狭めてはいないか
この本を読んでまず思ったのが、教育側が学生の可能性を狭めてはいないかということだ。
いつの時代もそうかもしれないが、現代は情報技術の進化によって急速に変化している。
この先にどんな未来があるのか、どう生きていくのが良いのか。
誰もが模索している。
そのような時代にあっても、昔からの授業スタイルを踏襲してはいないか。
テキストの通り伝達するだけで終わっていないか。
学生が「もっと学びたい」と思えるような授業をしているか。
14名の語る内容を読んで、そんなことを感じた。