この本を選んだキッカケは…忘れてしまった。
でも本屋さんで見かけたとしても、僕ならきっと手にとらなかっただろう。
たぶんTwitterか何かで紹介されて気がする。
今回は紹介してくれた人に感謝したい。
予想以上に、学びが多く没頭できる内容だった(深すぎてわからないことも多々あったけれども)。
習得への情熱―チェスから武術へ―:上達するための、僕の意識的学習法
- 作者: ジョッシュ・ウェイツキン,吉田俊太郎
- 出版社/メーカー: みすず書房
- 発売日: 2015/08/18
- メディア: 単行本
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この本はよくある自己啓発的な本ではない。
著者はチェスで世界チャンピオンになり、その後に太極拳でも世界チャンピオンとなった。
チェスと太極拳…一見異なる分野で世界のトップレベルに到達できたのはなぜか。
著者の考えがとても細やかに分析され表現されている。
筆者のヒストリー
筆者は幼い頃、チェスに目覚めた。
寝ても起きてもチェスに没頭した。
きっと楽しくて仕方なかったんだろう。
世界のトップレベルで凌ぎを削るようにまで成長し、映画化までされた。
ところが、そこからチェスに向かう姿勢が一変してしまう。
そのときの心境について、こんな風に述べられている。
それは17歳の男子にとって夢のような出来事だし、注目を浴びることを楽しんでいなかったといえば嘘になる。
だけどプロの競技者という視点からみれば、まったくの悪夢でしかない。僕のチェスはほころびを見せはじめた。
思考に没頭するのではなく、思考している自分の姿はどんな風に見えているだろうという考えにとらわれた。
そんな自分の精神状態を整えようと、彼は試行錯誤するようになる。
そこで出会ったのが太極拳だ。
そして太極拳でも世界レベルまで上達してしまう。
「何かを習得する」までの過程を、筆者が自身の経験を事細かに分析したのが本書である。
学んだことをいくつか紹介したい。
ずっと勝負にこだわることなくやってきた子どもが、ある特定の分野で秀でた存在になりたいという志を持ったとき、そこに必ずついて回る困難に立ち向かえるタフさは、おそらくその子には備わっていないだろう。成績や結果に執着しすぎることは明らかに不健全だが、しっかりした長期的育成方法を視野に入れてバランスを保つという前提さえあれば、目先に目標を置くことは成長するためのツールとして有効だ。
これは教育に通じてくる話だと思う。
ここで言いたいことは、要するに「結果に拘るか」「プロセスを大切にするか」だ。
筆者が言いたいことは、この2要素は対立しないということ。
日々のプロセスを大切できてこそ、結果に拘る意味がある。
そんなイメージ。
どんな分野であっても、頭を冴えわたらせ、今という瞬間に心を置き、猛攻を冷静に受け止められる能力があるかないかで、凡人と優秀な人の差が出るのではないだろうか。
これは太極拳に関する言葉だ。
しかし「どんな分野であっても」と述べているように、太極拳に限らないだろう。
「今」置かれている状況の全体像を冷静に受けとめる。
冷静に…僕のイメージでは「建設的に」と置き換えることができる。
感情に流されたら負けだ。
日常における幅広い種々さまざまな体験の垣根を取り払ってみると、あらゆるものが相互に結合し合って、生活の一瞬一瞬がより豊かなものになる。たとえば、読書中に集中力が萎えたと思ったら、いったん本を置いて、何度か深呼吸してから、リフレッシュした目でふたたび手に取る。仕事中に精神的スタミナが切れてきたと感じたら、休憩して、顔を洗い、新たな気持ちで戻ってくる。一日に数分だけでも何らかの形でシンプルな瞑想を試み、呼吸の干満に合わせて気持ちを集めたり、解き放ったりするのも素晴らしいアイディアだと思う。これをすることで、肉体的なインターバル・トレーニング的な領域にアクセスしやすくなる。
表現は独特だが、感覚としては納得できる。
眠かったり集中できない状態で、仕事・勉強に取り組んでも効果は薄い。
だったら、しっかりと「区切り」をつけよう。
区切るためには、異なる領域に身体を向けることが肝要である。
トップクラスの役者は台詞を間違えてもアドリブで取り戻すということをしょっちゅうやっている。そういう役者は、荒波の中を平然とした顔でスイスイと泳ぎ進み、脚本という静かな海に戻っていくので、観客は台詞を間違えたことにすら気づかない。いや、それ以上に、本当に優れた役者なら、そういう瞬間を味方につけて利用し、直観力と生命力を宿した輝きのあるアドリブで演技の質を一層高めてしまうだろう。ミュージシャンも、役者も、運動選手も、哲学者も、作家も、小さなミスから素晴らしい何かを創造できることを知っている。
「こうあらねばならない」ということなんかない。
予想外な出来事が起こったとしても、しなやかにその場で対応できる力。
臨床でもそんな力が、今求められているのではないだろうか。
僕の場合はどうだろう。
学生が予想外な反応をしたとしても、授業計画通りに進まなかったとしても、何事もなかったかのように、むしろその反応を活用しながら授業できる。
そんなイメージだろうか。
大人になっても、遊び心に満ち、危険を意に介さない子どもの心理状態を持てるような、そんな弾力性のある意識を育むことが、ハイレベルな学習の大切な要素だ。
遊び心。
大人になると、気がつくと「リスク」や「コスパ」などの雑念が思考を支配する。
遊ぶように何かに取り組んでいたら、気がついたら成長している。
そんな風になれたらいいな。
成長するためには、今持っている考えを捨てる必要がある。
いずれ勝てるようになるために、今は負けなければならない。
今の考えに囚われていては、「新しい何か」は生み出せない。
意識的に、自分にはないものを取り入れていく。
たとえその結果、苦しんだとしてでも…だ。
イチロー選手が毎年フォームを変えているのも、同じ理由だった気がする。
今という瞬間に心を置き続けておかなければ、たとえ真の愛が目の前に通り過ぎたとしても、まるで気づかないだろう。さらには、そういう平凡さを享受できない人間になってしまう。単純な日常生活の中に価値を見出すこと、平凡なものの中に深く潜っていき、そこに隠れている人生の豊かさを発見することが、幸福だけでなく成功も生み出すはずだと僕は強く信じている。
日常を豊かに過ごすこと。
仕事ばかりの日々を送っていると、「平凡なものの中に深く潜る」ことはできない。
常に何かに追われているということは、その瞬間に集中できない状況であるということ。
それが常態化してしまったとき、人間の最も大切な強みである「創造性」を失うのかもしれない。
日常を大切に生きていきたい。