GWに入り、久しぶりに教科書以外の本を読みたいと思いブックオフに向かった。
そこで目に留まったのが、この本だ。
ドラッカーの講義(1991-2003) ~マネジメント・経済・未来について話そう~
- 作者: P. F.ドラッカー,リックワルツマン,宮本喜一
- 出版社/メーカー: アチーブメント出版
- 発売日: 2010/09/29
- メディア: 単行本
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この本はドラッカー先生が実際に講義した内容をベースに書かれている。
なぜこの本を手に取ったのかは…わからない。
看護管理のセミナーで井部先生が勧めていたのが影響しているのか。
久しぶりにドラッカー先生の本を読んで改めて思うのは、内容が全く古びていないということ。
ドラッカー先生は1909年生まれ。
細かい例え話は時の流れを感じさせるが、現代の本質を鋭くついている。
書きたいことは色々あるが、今回は「これからの働き方」というテーマでまとめていきたい。
ドラッカー先生はこんなことを述べている。
— Tatsuro Sugi (@tatsuro0411) 2019年4月27日
「忘れないでください。仕事以外でも活動をする必要があるということを。その理由は、仕事には個人の生活を完全に支配してしまう傾向があるから、もっと正確に言えば、夜自分の仕事を家に持って帰るから、です。
https://t.co/thwJ0AIWNA
これにはまた別の理由もあります。それは、私たちの大多数は四十代の前半に出世・昇進という意味で天井に届いてしまう、ということです。日常的な仕事でない何かが必要なのです。そして、その何かをいち早く自分の生活の中に定着させなければなりません。
— Tatsuro Sugi (@tatsuro0411) 2019年4月27日
その何かとは、自分にとって意義のあるもの、自分が信じているものです。自分が役に立つ分野における何か、リーダーシップを発揮できる分野における何か、です。「私は役に立っているんだ」と言える分野での何か、です。
— Tatsuro Sugi (@tatsuro0411) 2019年4月27日
このツイートは「自分の居場所がわかっていますか」というタイトルの章で書かれている内容を抜粋したものだ。
この章の始まりにこのようなことが書かれている。
一貫して自分自身のキャリアを磨いている、そんな人たちに目を向けると、そこに浮かび上がってくるのは“ネットワーク”を築いている人たちの存在です。キャリアを築くということの意味は、仕事やお金そして肩書きといった類のものではなく、輝かしい功績や精神的充足そして貢献といったことを追求することです。
ここでいう“ネットワーク”というのは、現代風に言えば“人脈”ということだろう(なんかこの言葉は好きになれない)。
自分のことを支えてくれ、時に自分が支える。
そのような関係性を大切にしている人が、結果的にキャリアを磨いている。
キャリアアップという言葉がある。
ドラッカー先生は、キャリアを“磨く”と表現していることに注目したい。
「キャリアは上も下もなく、自分自身の可能性を十分に発揮し、そして貢献できるように、時間をかけて磨いていくものなんだよ」ということを伝えたかったのかもしれない。
その具体案として2つ挙げられている。
- 思いやりのある人になるために、備忘録をつくっておきましょう。
- 40代に突入する前に、仕事とは別の活動を実生活で見つけること。ただの趣味ではなく、活動です。
1について
ネットワークを築くということは、つまり人を大切にするということ。
小学生の頃から、これは言われているだろう。
でも当たり前なことであるほど、人は余裕を失うとできなくなってしまう。
人を大切にするということは、仕事の利害関係を超えた敬意を表すということ。
備忘録をつくっておくということは、その人の誕生日や好きな食べ物、趣味を忘れずにいましょう、ということ。
仕事だけでなく、僕自身のことをその人が覚えていてくれたら、とても嬉しいと思う。
人を大切にするには、その人自身の存在に敬意を持つということ、それを行動で表すということ。
2について
こんなことが述べられている。
43歳前後の大学教授を見てみると、今、何かほかのことをすべきでないかと思われる人がたくさんいます。彼らは15年ほど前に議論していたような立派な学術書をこれから先、出版することはありません。仮に彼らが優秀な学者であったとしても、それはもう過去の話です。柔軟性や順応性はすっかり消え失せてしまっています。彼らは未熟なまま歳をとってしまい、立ち往生しているのです。
次に彼らとは違った人たちに目を向けてみます。思いがけないことに、46歳の同僚で、それほど優秀な学者ではないけれども、教室に入ると今も昔と変わらず、情熱にあふれた講義をする人がいます。この同僚は本職とは別に、ボーイスカウト団の経営をしており、週末になると新しい課題にとりくんでいます。週末ごとに、9歳の子どもたちが入れ替わり難問をぶつけてくるからです。
※一部省略しています
僕も教員であるせいか、この文章を読んで衝撃を受けた。
教員になって間もなく、授業には情熱をもって取り組んでいるし、あれこれ試したいこともたくさんある。
そんな僕も40代となったとき、自分の授業に“飽き”が来るのだろうか。
「め組の大吾」という消防官が主人公の漫画にハマったことがあった。
そのヒロインが落合先生という、高校の生物?の教員だった。
その落合先生が、自分がボーッとしている間に授業が終わってしまい、「自分はこの仕事に情熱を失ってしまっているのではないか?」というシーンがあった。
ドラッカーの本から、なぜかこのシーンを思い出した。
おそらくこのシーンの本当の意味を、何十年か越しに理解できたからなんだろう。
ちなみに落合先生はこのあと、小さい頃の夢であった昆虫学者になることに向けて動き出した。
……話が大分脱線した。
つまり、自分もそうなる可能性は十分にあるということだ。
ここでドラッカー先生が提唱しているのがパラレルキャリアである。
即ち職場の仕事以外にも、自分にとって意義のあるもの、自分がリーダーシップを発揮できる分野における何か、を自分の生活に定着させていく必要があるということだ。
副業が推奨されているが、別にお金を稼げなくても良い。
大切なのは、自分が情熱をもって取り組めるか、だ。
パラレルキャリアと同時に、いつセカンドキャリアが必要になるか、ということの重要性も述べている。
「やっと金曜日になった!」と叫んだとき、自分の無責任な仕事ぶりのせいで職場が混乱し始めたとき、そんなときは、自分自身が退屈している証拠です。退屈は命に関わる病ですから、なんとか処置する必要があります。肉体的には長く生きていながら、精神的にあまりに未熟なまま死んでしまう…これは大変危険なことです。
このような恐ろしい事態に陥らないために、そして悔いの残らない人生を歩むためにも、パラレルキャリアとセカンドキャリアを意識した行動をしたいと感じた。