タイトルの通り、3月31日で看護学校を退職することになった。
極めて個人的なことではあるが、備忘録として残しておきたい。
教員になるまでをザッとふりかえる
僕が看護師になった頃は、まさか看護学校で教員になるとは思わなかった。
病院で看護師として勤務しているうちに、インストラクターやプリセプター、教育担当となり、自然と「教育」という道?のようなものが見えてきた。
その頃知った番組で、マイケル・サンデル先生やザ・ソングライターズという番組の佐野元春さんに憧れたのも大きい。
そして臨床と並行してオンラインの大学に入学した。
かなりタイトなカリキュラムではあったけど、あらためて学ぶ時間はとても楽しく、より教員になりたいという気持ちを高めてくれた。
そして晴れて看護学校の教員となった。
いくつかの看護学校をインターンシップで見学したが、最終的には直感で決めた。
はじめは学生とどんな話をすれば良いのかもよくわからず、授業は緊張しすぎて授業案をこなすことで精一杯だった。
大幅に授業が早く終わってしまったりしたこともあったな。
実習で学生と看護について考えたりしたのは良い思い出だ。
世間では看護学校に対して賛否両論があるが、あらためて振り返ると、僕にとっては貴重で、かけがえのない時間となった。
看護学校の教員となって良かったと思っている。
なぜ退職する?
退職となった細かな理由は割愛するが、もう一度現場で「イチ看護師」として働こうと思ったことが大きい。
まだ教員自体の経験がそこまであるわけではないので、こんなことを言って良いのかはわからないが。
決定的な何かがあったわけではないのだが、これも直感で決めた。
実習に行っていたとはいえ、臨床から離れてそれなりの月日が経った。
さらに新しく勤務するのは、これまで経験したことがない領域だ。
4月からちゃんと働けるのか、患者さんに対して安全な看護が提供できるのか不安はある。
またイチから、謙虚な気持ちで頑張っていきたい。
それからもう一つ。
春から大学院(修士)に進学することになった。
分野は看護ではなく教育だ。
看護学校を退職するにも関わらず、教育分野に進学することになった。
冷静に考えると、矛盾した選択かもしれない。
ただ教育は学校だけでなく、逆に学校を離れて、また現場として働くことで見えてくることもある(と信じている)。
研究の際には、また看護学校の皆さんには助けてもらうことになるかもしれない。
最後に
ということで、来年度は現場で働きながら、学生の二刀流?となる。
仕事は非常勤にしてもらった。
学習に励みつつ、お別れとなった学生に対して、何かしらの形で学習リソースの一部にはなれるような活動はしていきたい。
別れはとても辛かったが、看護師を続けている限り、縁はきっと続いている。
4月から生活がガラッと変わるが、あらためて頑張っていきたい。
それではまた。