著者は教育経済学者。
教育経済学という学問領域があることを初めて知った。
著者は恩師である慶応大学の竹中教授から「経済学は社会を分析する科学」ということを教わったという。
教育経済学は、経済学の全体から得られたデータを分析して、法則を見極めるという本質を教育に活かした学問である。
僕も教育に携わる一人として、興味深く読ませてもらった。
いくつかの知見を共有してみたい。
「頭がいいわね」と「よく頑張ったわね」はどちらがよい?
看護教育でも「叱ってはいけない、褒めて育てよう」のようなキャッチフレーズを耳にすることがある。
この考え方は賛否両論ありそうだが、「褒める」ということについて考えてみたい。
「能力を褒めることは、子どものやる気を蝕む」という論文がある。
要は「頭がいいわね」は能力を褒めており、「よく頑張ったわね」は学習プロセスを褒めている。プロセスに対してフィードバックすることで、さらなる努力を引き出し、よりチャレンジングな学習者に育つ、ということがわかる。
この知見にさほど驚きはなく、「まあ、そうだよな」という程度だ。
しかし「意識してこれをできているか」と問われると、僕はできていると答えることはできない。
フィードバックは具体的であればあるほど良いが、学習者の学習プロセスを具体的にフィードバックするには、こちらが本当に学生の学習プロセスとその成果をよく観ていないとできないことだ。
教育にはいつ投資すべきか
なかなかセンセーショナルなタイトルだ。
教育にお金が絡んでくると、たちまち雲行きが怪しくなる。
でもこれは極めて重要なテーマだろう。
世界中の親にとっては思わず目を止めてしまうテーマというのが本音なはず。
結論から言うと「小学校に入学する前(幼児教育)」ということらしい。
まずこのようなテーマ自体が斬新で、しかも答えが小学校入る前の教育とは…
この話には続きがある。
じゃあ小学校に入る前から、がんがん勉強をしまくれば良いのか、というとそうではない。
IQや学力テストで計測される能力のことを、一般に「認知能力」と呼ぶ。
とある名門幼稚園のプログラムは、8歳くらいまでは認知能力を上昇させる効果があったものの、その効果は8歳ごろで失われ、決して長期にわたって持続するものではなかったという。
ところが「非認知能力」は長期的に大きな影響をもたらせた。
では「非認知能力」とはなんだろうか。
これはいわゆる“生きる力”と言われるものである。
学術的な呼称 |
一般的な呼称 |
自己認識 |
やり抜く力がある |
意欲 |
意欲的である |
自制心 |
粘り強い |
自分の状況を把握できる |
これらが社会で生きていく上で大切なことは言うまでもないだろう。
つまり学習とは、ただ単に勉強するということだけでなく、教員はクラスメートとの関わりを通して、「非認知能力」を養う場所であるということだ。
良い先生とは何か
例えば「クラス全体の平均点が毎年80点以上」を達成している教員と、「昨年の平均点が30点だったけれども今年は35点」にできる教員はどちらが良い教員だろうか。
それは後者であるという。
つまり、学習成果に「付加価値」をつくることができる教員が、つまり教育の質が高いということになる。
教育における付加価値が、その後の学生の人生に大きく影響するという。
雑多とした教員業務で、一人一人の学生の伸び率を把握するということがまず難しい。
そこでポイントとなるのはやはりICTか。
ICTをうまく取り入れて、効率的・効果的に教育していかなければいけない。
「気持ち」だけではダメ。
この本を読んで「エビデンスのある教育をしているか」ということを考えさせられた。
教育は無形だ。
だから個人の主観がかなり入り込んでしまう。
それは悪くないことだ。
だからといって、そこに甘んじてしまってはそれは教育でなくなる。
自分たちの実践を客観的に省察し、より良い教育の在り方を探っていくことが重要である。