「推し、燃ゆ」を読んだ。
男女混合グループ「まざま座」のメンバーである上野真幸に、全てを注いでいる16歳の女の子のお話。
彼がファンを殴り、アイドルを引退することになるのだが、そのプロセスにおける彼女の葛藤がリアルに描かれている。
僕は特に推しとかはいたことがなかったので、理解し難い場面も多々あった。
でもそれは僕が大人になってしまったからであって、そのアンバランスの中で生きるのが「思春期」と呼ばれる時を過ごす彼ら・彼女らなのかもしれない。
そのときしか感じられない感覚の描写が絶妙だと感じた。
常に平等で相互的な関係を目指している人たちは、そのバランスが崩れた一方的な関係性を不健康だと言う。脈ないのに想い続けても無駄だよとかどうしてあんな友達の面倒見てるのとか。見返りを求めているわけでもないのに、勝手にみじめだと言われるとうんざりする。
本書より引用
この表現が適切かはわからないけど、自己満足でやっていることに、大人の合理的な発想で口を挟まれるとうんざりする感覚は、なんだかわかる気もする。
理解し難い行動でも、なんらかの理由やこだわりがそこにはある。
そこに「その人らしさ」があったりする。
不健康だとか、意味ないといって、切り捨てない大人でありたい。
自分で自分を支配するのには気力がいる。電車やエスカレーターに乗るように歌に乗っかって移動させられたほうがずっと楽。午後、電車の座席に座っている人たちがどこか吞気で、のどかに映ることがあるけど、あれはきっと「移動している」っていう安心感に包まれてるからだと思う。
本書より引用
主体的であるってことが良しとされている世の中。
でもそれができない人もいる。
電車に乗っていると、とりあえず目的地が決まっている安心感。
わかる。
主人公は推しに全てを注ぐことで、ある意味成熟すること・大人になることを回避していようとしている。
いや、回避という言葉は適切でないか。
そのときの主人公にとっては、自分を保つためにはそれしかなかった。
でも推しが引退することで、それができなくなる。
最後は這いつくばって、ものを拾うシーンで終わる。
かなりしんどい道のりであることを暗示している。
それでも、這いつくばって生きているうちに、主人公の女の子が強くなってくれることを願う。