前々からやってみたかった「アート×教育」に挑戦してみた。
きっかけは週刊医学会新聞のこちらの記事。
医療に限らず、ビジネスや教育でもアートが注目されている。
というのは時代が大きく変化したためだ。
以前:明かな問題があり、それをいかに効率良く解決するか
現在:明かな問題は解決されつつあり、問題を発見するセンスが大切
※僕の主観的な解釈です
参考文献はこちら↓↓
テクノロジーの発展により、効率性や正確性は人間が身につけるべき能力として重要視されなくなってきた(もちろんある程度は必要。またテクノロジーを活用して効率性・正確性を高めていく能力も大切)。
じゃあ何が大切になってくるか、というと感性やセンスといわれる定量化しにくい能力となってくる。
アートという概念はその代表格だろう。
何かを眺めて、「美しいな」「クールだな」「かっこいいな」という感覚。
子どもの頃は誰しもが持っていた感覚のはずが、大人になるにつれて失われていく人も多い。
そんな経緯があって、アート×教育が注目されているわけだ。
僕が今回の授業でトライしたのは「アートで感じる『見る』と『観る』のちがい」である。
まずは誰もが一度は目にしたことはあるであろう「最後の晩餐」。
こちらをさらっと見ていただき、Mentimeterで感じたことを打ち込んでもらってシェアする。
そのあとはどうするのか。
例えば「皆で集まって食事している」というような意見が出てきたら、「それはどこからそう思ったのですか?」と尋ねる。
要は、絵のどこを見て(観て)そう感じたのかを深堀していく。
「そこまでは…見ていませんでした」となったら、それはそれでOK。
人は見たいようにしか見えないということを体感できたわけだ。
次にこちらの絵を観てもらう。
題材は「フォリー・ベルジェールのバー」。
こちらは立ち上がってもらい、3分間観てもらう。
立ち上がってもらうことで、観ることに集中してもらう意図がある。
今回はあわせてメモもしてもらった。
再びMentimeterで考えたことをシェアする。
するとどうだろう、「◯◯だと思いました」という意見に対し、先ほどと同様に「それはどこからそう思いましたか?」と尋ねると、「◯◯だったからです」と具体的な返事が返ってくるではないか!
たった3分でも時間をかけて、集中して観ることで、人が得られる情報はこんなにも異なるのかと授業者でありながらも驚く。
かの有名な名探偵ホームズはこのようなことを述べている。
<ホームズ>
君は見ている。しかし観察していないのだ。その違いは明らかだ。そうだな、玄関からこの部屋までの階段をよく見ているよね。
<ワトソン>
ああ、何回も。
<ホームズ>
それならいくつステップがある?
<ワトソン>
いくつ?知らないよ。
<ホームズ>
そうだろう!君は観察していなかったんだ。
そう、見ていただけ。
ここがポイントさ。
僕は17ステップあるのを知っている。
僕は見たし、観察もしたからね。
ホームズが述べているように、「見る」と「観る」は違うのだ。
そこには「集中力」や「眼差しの性質」・「観る時間」などのちがいがあるが、大切なのはそのちがいを体感すること。
体験があってこその学習だ。
今回は「観察」がテーマだったので、感性といったところまでは踏み込んでいない。
それでも、アート教育の可能性を感じた授業であった。