夏真っ盛り。
暑さに負けず、最近僕のなかでアツい「対話型ファシリテーション」のワークショップに参加してきた。
ムラのミライ | ムラの智恵を掘り起し、未来の世界へつなげよう
看護学生は共感してくれると思うが、看護教育って「なぜ?」「どうして?」がとても多い。
学生時代は「なんでこんなに質問するんだ?」と感じつつ、これが医療の教育か!と受け止めていた。
教員となった今では、先生たちは学生の思考を促したかったのだな、ということがわかった。
それでも何か違和感があった。
まるで、無理やり学生から意見を引っ張りだそうとしている場をつくり出してしまっていると感じていた。
振り返りが大切なことはわかっているが、もう少し良い方法はないものか…
それから月日が経ち、衝撃的な本を発見した。
「なぜ?」「どうして?」を使わないコミュニケーション⁉︎
僕が引っかかっていた違和感が全て書いてあるではないか。
……ひとまず、ここでは本の内容に関しては割愛し、ワークショップに話を戻す。
ワークショップでは、認定ファシリテーターの先生に「対話型ファシリテーション」の手ほどきを受けた。
対話型ファシリテーションとは、一言で言ってしまうと
相手が語りやすい事実の問いかけを重ねていくコミュニケーション
と解釈した。
ちと長い表現となってしまったが、「相手が話しやすい」というのがポイント。
下手すれば尋問となってしまうのが対話型ファシリテーション。
尋問は自分本意、対話は他者本意。
語りたくなる場を意識してファシリテートしていくことがミソだ。
「なぜ?」「どうして?」を使わずに対話してみるというワークがあった。
「なぜ?」と問いかけたくて仕方がなかったのは言うまでもない。
でもなんとか我慢し、そして事実を尋ねる質問を重ねていくことで、自然とその人が語りたかった内容に辿り着けたような気がした。
思うに、「なぜ?」と問うのはとても楽なことだ。
尋ねるほうが楽だが、尋ねられたほうは色々と忖度してしまう。
「この人にはこう言っておくか」というバイアスが無意識に働いてしまう。
それはお互いにとって不幸なこと。
対話型ファシリテーションは事実に基づき、そして自然と本質が浮かび上がる。
そんなイメージだ。
対話型ファシリテーションは、教育において協力なツールとなることを実感した。
先生曰く、まだ教育での実践を研究している人はいないそうだ。
今後の研究テーマとなりそうな予感。