皆さんは「現象学」という言葉を知っているだろうか?
さも詳しいような物言いになってしまったが、僕も最近知った言葉だ。
「現象学」とは一言でいうと、物事や人々がそのつど意味を帯びて経験されることを「現象」と呼び、そうした意味現象がどのようにして成り立つのか、つまりどうしてその物事や人々がそのような意味を帯びて経験されるのかを、根本から明らかにしようとする哲学です。
例えば、ある患者さんが様々な医療機器に囲まれて入院されているとする。
医療者からすると、馴染みある機器として機器の点検や患者さんへの影響を考えながら対応する(=経験)だろう。
だが家族からしたらどうだろう。
そうした光景を目の前にして、少なくとも“馴染みある”という感覚はまず持たないだろう。
つまり医療者と家族では、同じ光景を目の前にしても異なる経験をしているのだ。
その差異について、深く考え意識するなんてことはなかなか無い。
現象学という哲学は、そうした現象を哲学的にアプローチする学問なのである。
現象学に関連する偉い人たちを勝手に紹介する。
- 入門書を読んだが、アウトプットする余地がないくらい意味がわからなかった
- 「志向性」を、道具や他者や自分自身を「気づかう」人間の在り方としてとらえ直し、人間は日常、馴染みの状況のなかで、つねに何らかの未来を先取りし、過去を踏まえながら道具や他者や自分自身を気づかう在り方をしており、この気づかいという在り方ゆえに、物事や人々が意味を帯びて経験されるのだと説いた
- 例えば、僕は今このブログを書いている。ブログを書きながら、現象学を理解して言葉に表現されてこなかったことを表現できるようになりたいと考えている。自分の現象学に対する知識の無さに辟易しながらも、資料の助けを借りつつ相棒のMacBookという道具を使って書いている。
- その在り方がまさに志向性…と僕は解釈した
- ふだんは自覚することなく発揮している身体の志向性の働きによって、物事や人々は種々の意味を帯びて経験されていると考えた
- 子どもと大人では、身体の大きさや能力も異なり、世界が全く違って見えることからもわかる
- 身体同士の交流
書いていて意味がわからなかくなってきました。
このテーマでブログを書くには、まだまだ勉強不足ということがわかった。
それがわかったことを収穫としよう。