集中力はいらない。
この本のタイトルに引かれた自分がいた。
なんて言われたら、みなさんはどう思うだろうか?
いやいや、そんなはずは!
と僕は思った。
巷に溢れるビジネス書は、集中力をどう高めるか、という切り口だし、
親や先輩方にも集中しろ!と言われたら経験がある方も多くいるだろう。
まず間違ってはいけないのは、この本は別に集中力がいらない言っているわけではない
自分のやるべきことがあるなら、集中すべきだ。
その上で、筆者はこう述べている。
「集中」とはすなわち、人間に機械のようになれという意味なのだ。集中力というと聞こえは良いけれど、言い換えれば「機械力」が相応しい。人間らしさを捨てて、脇目も振らず、にこりともせず作業をしなさい、ということである。
では機械にはできなくて、人間にできることは何か。
発想だ。
そして発想は集中力ではなく、思考があちこち分散している時(例えばリラックスしてる時など)に得られる。
つまり、大切なのは分散力だ。
集中と真逆の概念。
自分の生活を振り替えってみる。
最近、思考したことはあっただろうか?
どうでもいいニュースを流し読みしてわかった気になったり、SNSで周り人間の日常と比べてたりはしてはいないか?
僕は大学院への進学を考えている。
そんな僕に求められるのも、分散力だ
なぜなら、研究テーマを考えなければいけないから。
研究テーマこそ、発想の極みかもしれない。
現象に対して、まだ世に出ていない問いを立てること。
問いの質が、研究を左右するのではないか僕は考えている。
テーマさえ決まれば、あとはやるだけだ。
研究に限らず、あちこちに分散しながら思考することで、インスピレーションやアイディアが生まれる。
最も価値があることって、集中して効率よくやった成果物ではない。
分散力の結果、生まれてきた副産物なのではないだろうか。
歩きスマホではなく、歩きながら思考しよう。
そこで生まれる疑問。
思考するとは?
なんとも掴みづらいテーマだ。
正直言って、面倒くさいから皆避ける。
だからこそ価値がある。
それぞれスタイルはあるだろが、
具体→抽象
と考えを拡張すること。具体はそれ以上何も生まれない。
抽象化した知見は応用が利き、新たな疑問が生まれ、発展するかもしれない。
現実の世界は、どうでもいい具体で溢れている。
きっとこのタイトルに引かれたのは、そんな自分に疑問を抱いていたからなのだと思う。
思考することで、自分の世界を深めていきたい。