お盆休み。
久しぶりに実家に帰り、のんびりと過ごしている。
実家には本をストックさせてもらっており、久しぶりに眺めてみると面白そうなタイトルの本を発見した。
「そういえばこんな本も買ったあ〜」と浸りながらパラパラと読んでみた。
そしたら想像以上に、今の自分に刺さる内容だった。
【メモ】
— Tatsuro (@Tatsuro04) 2018年8月13日
「何者にもなっていない」まま歳を取ると、「何者にもなれなかった中年」というかたちでアイデンティティが固まってしまいます。
恐ろしい…
— Tatsuro (@Tatsuro04) 2018年8月13日
【メモ】
— Tatsuro (@Tatsuro04) 2018年8月13日
無理に若者ぶってはダメ。
見も心も破滅する。
【メモ】
— Tatsuro (@Tatsuro04) 2018年8月13日
なんか納得。 pic.twitter.com/3q8Dz369XK
これが最悪なパターン… pic.twitter.com/5zmH3fY2K9
— Tatsuro (@Tatsuro04) 2018年8月13日
大人になれた実感はあるのか
僕も世間では「大人」と認知されている。
対して僕自身の認識はどうだろう?
若いうちに仕事や勉強ができること自体は望ましいことです。ですが、「仕事のできる私」や「勉強できる俺」だけをアイデンティティにしている若者は、それらが不調になり、評判が下がってしまうと、自分自身のすべてが否定されたように感じてしまいます。
自分が仕事できるとは全く思っていないけど、なんとなく思い当たる節はある。
仕事関連の勉強は、僕にとっては" 楽しいこと "だ。
楽しくできているうちは良いと思う。
それが" 成功しなければならない "と飛躍し始めると、勉強することは途端に義務へと変わってしまう。
そうなった時、僕のアイデンティティはとても不安定なものになるような気がする。
今は独り身だから、24時間は自分のために好きに使える。
ただこれから結婚して、もし子供も授かれたとしたらどうだろう。
今のライフスタイルを維持することはできないだろう。
無理やり維持しようとすれば、きっと僕はパンクするのが想像につく。
" 自分が成長すること "はとても素晴らしいことである。
僕もそれに関して異論はない。
ただ自分の成長だけでなくて、他者のために生きたり、他者の成長に喜びを見出すことにも目を向ける準備をしていく時期に差し掛かっているのだと思う。
視点を自分から他者へ向けること。
今の自分をちゃんと受け入れること。
それが大人への第一歩なのかもしれない。