ここのところ天気がよい。
少しずつ日ものびてきた印象。
春が待ち遠しい。
今日はブックレビュー。
僕が知る限り、看護界における現象学的研究のトップランナーである先生が執筆した。
現象学に関心がある者としては読まないわけにはいかない、そう思わされるタイトルだ。
気軽にアウトプットする気持ちで、章毎に感想や印象に残った箇所を取り上げてみたい。
序章
ここで現象学をなぜ看護に取り入れるのか。
心構え的な内容が書かれている。
ここのポイントは
現象学にあらかじめ決まったマニュアルや手順はなく、研究しようとしている事象の方から呼び求められる形で研究手順が決まる
と述べられている箇所にあるように感じた。
量・質問わず、どの研究もある程度決まった「型」のようなものがある。
現象学では、それがないのだ。
現象学的研究をするからといって、事象を現象学に当てはめようとするのではないということが重要だと理解した。
第1部
第1章:現象学とは何か
ここでは以前にも書いたような「還元」や「志向性」といったお馴染みの用語が扱われる。
印象に残った文章が
私たちは主観の中に閉じ込められている
近頃はこれを意識しながら仕事をしているが、一筋縄じゃいかない。
まだまだ主観に捕らわれてるな、と感じている。
でもこれを意識するだけで、フラットな解釈ができるようになった気はする。
現象学は役に立つか?という問いがあった。
よく現象学も含む質的研究に対して、主観的だというような意見がきかれる。
でもこれは誤りで、現象学は主観を外しにかかる。
現象学は、ある状況の背後にある運動と構造を明らかにするアプローチ方法だ。
第2章:現象学の歴史
フッサールやハイデガーなど、現象学に関係の深い人物が取り上げられる。
看護師である僕は、なかでも「メルロ・ポンティ」がやはり気になる。
我々のコミュニケーションは、「考える」よりも前に「感じる」というレベルで行われている身体交流である(間身体性)。
コミュニケーション-身体という関連性がよくわからなかったけど、なんとなくイメージできるようになってきた。
この「なんとなくわかるようになってきた」というのも身体知なんだろうか。
第3章:現象学的看護研究の歴史と現状
この章では、現象学と看護研究の歴史に関して触れられている。
意外にも、現象学は1970年代で既に看護学の学術雑誌に登場しているということ。
昔の人も、看護と現象学の親和性に気づいていたということだ。
オランダ人精神医学者のヴァン・デン・ベルクという人物が、日本へ講演に来た際にこんな名言を残している。
行動する現象学者。
なんだかしっくりくる言葉ではないだろうか。
僕たちは専門知識や理論を学ぶと、ついつい安易に分析して解釈してレッテルを貼ってしまう。
多くの人に通じる体験だろう。
この章ではこんな一文がある。
これらの体験の状況的な文脈をよく調べ、よく吟味し、深く考え、じっくり取り組み、手間をかけることによって、生々しい人間的なデータは、知識を生むことができる。
理論は確かに大切だ。
ときに、患者を理解する強力なツールとなる。
でも全く同じ患者は存在しない。
よって理論に当てはめようとすると、捉えなければいけない大切なことを取りこぼしてしまうことがある。
僕たちはそのことを肝に免じていかなければならない。
長くなってきたので、この記事はこのへんで閉めます。